こんにちは、みこまる(@MICOMARU_33)です!
私は3歳の娘を持つワーキングマザー。
Twitterで話題となっていた「ポテサラ論争から見る母親の生きづらさ」について、私の意見を語っていこうと思います。
現役ママの方や、なぜ奥様がカリカリしているのか全く理解できないご主人側の方、母親がお惣菜を買うなんて、と思っている方にぜひ読んでいただきたいです。
ポテサラ論争とは
論争のきっかけとなったTwitter。
ポテトサラダを買おうとした子連れのママに、「ポテトサラダくらい手づくりしたほうがいいんじゃない」と男性からの心無い一言。
いやもう、母親の気持ちがわかりすぎて泣く。
そんなの百も承知ですよね。
愛する我が子のために全て手作りできたら、どんなに素敵なことか。
愛情も時間も我が子なら精一杯かけてあげたい。そんなの、母親なら言われなくてもみんな思っています。
でも母親だってひとりの人間。
できることには限界がある。スーパーマンでは無いんです。
そして置かれた環境はみんな違う。そこの理解ってどれくらいあるんでしょうね。
同じ母親として、悔しさがこみあげるTwitterでした。
母親だから、苦しい
子育てってめちゃくちゃ大変です。
私は結婚前、昼間は会社員・夜はキャバ嬢で二足の草鞋を履いて仕事をしていたワーカホリックな人間でした。
でも、はっきりいって子育てのほうがしんどい。
得手不得手もあると思いますが、仕事は自己実現の場であり他者からの評価も得られる世界。
しかし主婦業や母親業は誰にも認められることがありません。
ワンオペ育児なら尚更、どこが大変だなんて他者からは見えないもの。
母親っていうだけで、土俵がみんな同じなんです。
環境がそれぞれ違うことを加味してもらえない。
それが一番の辛さだったりします。
私はワンオペ育児で主人はほとんど家にいないし、実家も遠い。
自分で選んだ人生だけど、やっぱりきつい。
実家が近くにあって、じいじ・ばあばが親身に孫の世話をしてくれて夜ご飯もお風呂も手伝ってくれる、そういう環境の人も周りにたくさんいます。
でも母親はみんなひとくくりにされる。
○○さんができて当たり前のことは私もできて当たり前の世界。
環境が恵まれてないからって、言い訳できない状況がそこにある。
ポテサラをお総菜売り場で買っただけで、こういう視線に晒される。
それは同じ母親として悔しい。私はそう思いました。
母親という理想像にはめないで
現代は働く母親が多く、仕事が好きな女性も多い。
また、専業主婦であっても実家が遠く誰からのサポートも受けられない孤立したファミリーが多いのも特徴です。
時代とともに母親の在り方は変わっていくべきなのに、日本古来の「母親はこうあるべき」という理想像が残りすぎている。
それが今回のポテサラ論争を引き起こしたと思っています。
母親は、家事ができれば偉いのか?
少なくとも現代に生きている私たちならば、それは違いますよね。
思いっきり仕事したい、でも子育ても家事もしなくてはいけない。
もっと言うならば、しなくてはいけないんじゃない、本当はやってあげたい。
ポテサラだって作ってあげたい。その気持ちを見落とさないでほしい。
もっと理解のある社会に
現代の母親の在り方は日本古来のものと食い違ってきている、とお話をしましたが、じゃあどうすればいいのか。
それは、社会全体が、社会のひとりひとりが母親への理解と敬意を示すことだと思っています。
理解があるだけで、救われる母親がどれほどいるでしょう。
ポテサラを作りたいけど作れない母親の背景。
お惣菜を買うことでその母親は気持ちにゆとりができて、子供と笑っていられる時間が30分増えるかもしれない。
それを汲み取れる社会であってほしい。そんな社会の一員でありたい。
私はそう思います。
ポテサラ論争から見る、母親の生きづらさ。
お惣菜は買っていいんだよ! そのぶん子供と笑ってる時間が増えますように。
これを書くことで少しでも救われる母親が増えますように。
そう願っています。
東日本大震災をきっかけに世界27か国をひとりで旅した元バックパッカー。現在は2歳女の子ママ。母親としての働き方に悩み、会社員からライバーに転身。普段はライバーとして活動しながら記事を書いています。基本ポンコツな30代。