みなさんこんにちは!
元バックパッカーのみこまるです。
今回は、意外と知られていないトルコのことを書き綴りたいと思います。
トルコと聞くと、みなさんはどんなイメージを浮かべるでしょうか?
トルコアイス、ケバブ。この辺りでしょうか。
かくいう私も、トルコに行く前はそんなイメージしかなく、今思えば本当に何も知りませんでした。
この記事から、もっとトルコを知ってもらえたら嬉しいです。
日本がトルコの船を助けたのがはじまり
1890年、エルトゥールル号というトルコの船が和歌山県沖で遭難しました。
500名以上の犠牲者を出す大規模な事件でしたが、和歌山県の人たちは見ず知らずのトルコ人たちを献身的に看病しました。
当時台風で出港できず、食料の備蓄もわずかだった和歌山県の人たち。
なのに総出でサツマイモや卵、衣類、非常用のニワトリまで差し出し、生き残った人達へ必死の看病を行ったそうです。
この事件はトルコの教科書に載っており、歴史の授業でみんなが学びます。
トルコ人ならば誰もが知っている日本人の救出劇。
トルコで街を歩いていると「日本人か?」の後には大体この話が続きます。
トルコから100年後の恩返し
当時のことを知ってる人も多い、イラン・イラク戦争。
1985年に勃発したこの戦争。私は小さいながらにテレビで見ていました。
激戦の最中、現地に滞在している日本人が帰国できずテヘランに取り残されてしまいます。
現地にいた日本人の救出を、日本政府が諦めるほどの大規模な爆撃。
そんな中、なんとトルコ政府はテヘランまで飛行機を飛ばし、日本人を救出することに。
200人以上の日本人の命が救われた、トルコ航空の救出劇。
当時の首相トルグト・オザル氏は「あの時の恩返しをしただけだ」と言います。
エルトゥールル号遭難事件から100年の月日がたち、なんと日本が助けてもらう側に。
トルコと日本は見えない絆で繋がっていたのです。
東日本大震災でのトルコ
知ってましたか?
東日本大震災が起きた直後、一番最初に救援の申し出があった国はトルコなんです。
私がトルコに行ったきっかけは東日本大震災。
通常生活がままならないレベルで破壊された被災地。
福島第一原発での未曽有の事故。
毎日立て続けに起こる余震で、身も心も参っていました。
そんなとき、トルコから日本人へ提案が!
被災者に向けて、疎開先としてトルコに1か月滞在するプランを提供してくれることに。
申し込んだ日本人は全部で40人でした。
滞在中は4つ星以上のホテルをひとり1室、食事も無料で与えてくれました。
航空券代もほぼ無料で、1か月間滞在することができたのです。
また、受け入れ先だったカッパドキアの人々が、お金を出し合って観光スケジュールも組んでくださいました。
私はそのプランに申し込み、必要最低限の荷物だけを持って旅立ったのです。
それがトルコへ行ったきっかけでした。
トルコでの1か月間
トルコでの1か月間は至れり尽くせりの一言です。
滞在先はカッパドキアでしたが、日本人を受け入れたことを街全体の人が知っているので、歩いているだけで頻繁に声をかけられます。
「チャイ飲んでいかない?」と勧められて、無くなったらおかわりを何回もしてくれます。
何杯も飲んだころにはすっかり仲良くなってしまい、うちの家族とごはん食べていけ、と部屋の中まで案内され……幾度となくご飯をごちそうになっていました。
滞在期間中、たくさんの家族と仲良くなり、参加した日本人は皆、震災の辛さが少し和らいでいました。
トルコの公用語はトルコ語。英語が得意な人も少ないので、やりとりはほぼ現地語とボディランゲージです。
それでも人間同士、伝えようとすれば伝わるんですね。
トルコ人は被災者の私たちを心から心配してくれ、少しでも思い出さずに済むようにと最善を尽くしてくださいました。
在トルコ日本大使館に大量のお悔やみ
トルコにある日本大使館の大使にお話を聞く機会がありました。
震災直後、トルコの日本大使館では電話が鳴り止まなかったといいます。
電話に出ると、日本人の知り合いも友達も全くいないトルコ人が電話の向こうで泣いていたそうです。
泣きながら、「日本は大丈夫なんですか」と。
また、ポストに入りきらないほど大量のお手紙が届いたそうです。
お悔やみを書いたお手紙が、毎日届いていたんですって。
トルコは日本を愛している。
心から日本を心配し、ニュースを見て心を痛めていたのです。
私たち日本人に同じことができるでしょうか。
直接の家族や友達ではない人たちに、ここまでの感情を抱けるでしょうか。
世界一の親日国トルコ
私はバックパッカーで27か国を周っていますが、これほどまでに親日で友好的である国はトルコしかない、そう思っています。
お礼も兼ねて2度目のトルコ旅行もしましたが、さらにおもてなしを受けてしまいバス代まで出されてしまう始末。
ケバブやトルコアイスだけではないトルコと日本の繋がりを、もっと身近に感じで頂けたらいいなと思っています。
日本とトルコの友好125周年を記念して、2015年に『海難1890』という映画が公開されました。
1890年に起きたエルトゥールル号遭難事件と、1985年のイラン・イラク戦争時の日本人救出劇の顛末を描いています。
トルコがもっと好きになる映画です。ぜひご覧になってみてくださいね♪
トルコと日本の繋がりを描いた映画はこちら
東日本大震災をきっかけに世界27か国をひとりで旅した元バックパッカー。現在は2歳女の子ママ。母親としての働き方に悩み、会社員からライバーに転身。普段はライバーとして活動しながら記事を書いています。基本ポンコツな30代。